当方の住んでるところも相当田舎ですが、恐らくそれ以上でしょう、福岡県うきは市(福岡県のうち、大分県や熊本県寄り)にある日本棚田百選にもなっているという「つづら棚田」を見に行ってきました。
実は、熊本の義兄の誘いにより、有明海の釣りに出かけた帰り(翌日。9月18日)に立ち寄ったのです。
この釣りは、過去3度も中止(3月12日出港予定でしたが、東日本大地震余波で有明海も津波警報が出ていた、それ以降台風接近で2度の釣り中止)になっていたもので、今回も第15号でしたか、台風接近の情報がありましたが、うまく逸れて、今回は、問題なく釣りを楽しみました。
釣りの話はともかく、棚田は、土地が狭く急斜面のせいでしょう、石組(石垣)の上に作られています。今回は、丁度時期的に田圃(棚田)の淵に彼岸花が咲いていて、田圃の稲の緑(刈ってあれば茶色)に色どりを添えていました。ここでは、何ヵ所かの棚田ポイント地点があり、そこでは、観光客への案内、駐車場での誘導、お茶の接待、土地の産物の販売、地域の紹介など、市を挙げての対応を行っていました。
ここの棚田の内、一番の見所が上記のつづら棚田です。皆、駐車場に車を置き、おじさん達は(いや、おばさんもいました)、大きいカメラをかついで、急坂を登ったり降りたり、汗を流しておりました。坂がきついので、登りでは私も息が切れ、汗もかきました。駐車場について係の人のくれた冷たいお茶は大いに救いでした。
釣りや棚田見物やらの遊び人が撮った幾つかの写真を添えました。ピントのあまいのもありますがご容赦を。
現地の様子を想像いただければ幸いです。
山口/古賀
東行庵の桜
今日、こちらは雨も降るし、大した用も無いとかで、先日報告しました東行庵の横の
日帰り温泉(晋作の湯)に家内らと行ったのですが、東行庵の池の周りの桜が満開。
おふろから帰って、デジカメを引っ提げて再度、かの地へ訪れたのでした。
雨も少し小ぶりの小ぬか雨と言うのでしょうか、その中、池にその姿を映しながら
(おそらく満開の)桜が並んでいました。
この感動を味わって頂きたく、そのいくつかをお二人に送ることに致しました。ご笑
覧ください。
山口/古賀
わが友人Kさんは、いま山口県山陽小野田市で悠々自適の生活を楽しんでいる。主に大阪時代から公私にわたる付き合いは遠く離れても続いている。最近は、メールの便りがほとんどである。酒、山歩き、カラオケ、美術鑑賞、写真、陶芸、歴史探訪等々の趣味・嗜好を満喫している。車の運転が得意で、山歩き、美術鑑賞、写真、歴史探訪等々に活かしている。現在の生活に入ってからは、地元の仲間と近郊の里山を中心に九州方面の山を楽しんでいる。毎回、その山行紀を大阪時代の山&飲み仲間達こまめに配信してくれている。
その彼が一昨年夏ごろだったか、心臓の不整脈で入院手術し、現在ペースメーカーを埋め込んだ身体である。しばらく中断していた山歩きも秋頃には復帰し、いまでは正常に戻っている様で喜ばしい限りです。もう、登頂紀も73回に及んでいる。いつも思うのだが、写真を入れてまとめて冊子を作れば立派なガイドブックができるのだが---。
以下にお許しを得て、Kさんからの山行紀を原文のまま掲載させていただきました。
彼の陶芸作品を紹介しておこう。数年前ぐらいに始めたのですがなかなか上手いものです。私など素人目には、少しオーバーかも知れませんが浜田庄司か魯山人の作と言われても納得するぐらいです。
10日ちょっと前の東北大地震(+大津波)には驚きました。
直接的な震災被害や原発トラブルの被害を受けた東北地方の方々へ、また余震や一部の物資不足や停電などその余波を受けているやちょうの会メンバーを含む関東地方の方々に、心よりお見舞申し上げます。
ところで、(今のところ)上記のような事件もない当地域に住む者が不届きながら、「お天気の元、屋外食事をしたい」とのニーズから、今回は、登山ならぬウォーキングで、その目的を果たしました。
曇ってはいましたが、天気もまずまずとの予報で、昨日(3月24日)朝8時半頃、自宅をスタート。
目指すは、我が家から10KM少しの東行庵(東行は幕末の志士・高杉晋作の号。山形有朋が、高杉晋作の遺言に従って、この地に葬った。晋作の愛人うのの墓も並んでいる。紅葉の時期がベスト)とその近くの晋作の湯です。
家を出て、いつもは旧2号線のある南方向へ進むのですが、今回はJR山陽線の通る北へ進路をとります。すぐに、私が“山野井富士”(※)と命名している宮野岳が見えます。周りの田圃は季節休業中ですが、各家々には残り梅が目に付きます。10分も行くと、もう薄日が差してきました。更に10分ほど行くと、ちょっとした坂です。“山野井富士”に近いこの辺りは、石炭(いしずみと読む)という部落で、その名のとおり昔は石炭が取れていた由。いきなりの坂で息が弾みましたが、まずまずクリアー。登ったせいで、JR線を上から覗きこむ形で線路沿いに進みます。
道を進み、峠の切り通しを過ぎて下ると福田という部落です。以前登った石山(標高248M)も正面に見えます。道脇の梅の大木が白い花をいっぱいつけて輝いていました。坂を下ると、JR線も再び道の近くを走るようになり、線路脇には黄色や白色の水仙がそそと咲いています。我が家でも今咲いている紫のムスカリもありました。
家から40分ほどで、福田神社下に到着。神社本殿は道脇から70~80段の急階段を登った上に鎮座しています。バス停留所名「宮の下」を納得。ゆっくりゆっくり登って、本堂の扉の内にかくまってあるお賽銭箱に、なんとかお賽銭を投入れ、お参りしました。内容は、東北・関東大災害の早期復興、やちょうの会の皆さんの健康、家族の平穏等々です。
階段を下りて、ちょっとコーヒータイム。ひょっと前を見ると、赤い木瓜(ぼけ)のつぼみが膨らんでいました。当方の“呆け(ぼけ)開花近し”を象徴するが如く・・・。
歩きだしてすぐ、数は少ないが、つくし(※)を発見しました。春デスネー。
JR線路と、付かず離れず、延々と続く県道を西へ西へ。途中、山陽自動車道の下を潜ったりして、赤字問題で悶着のあった山陽オートレース場の派手な作りが見えてきました。この辺りから道を北西へ変え、また進むのです。今度はまっ白なアセビが咲いていました。近くに沈丁花も。やや行くとため池あり。池には枯れた葉が浮かび、岸辺には葦が密集。その奥の土手には梅か何かの、曲がった枝の樹木が2~3本。K審査員評価によると、「絵になる風景」でした。
白木蓮の木もありましたが、さすがに開花はまだ。
家を出て約2時間(10時半頃)、この頃になると、空は、刷毛で掃いたようなうすーい雲はあるものの、晴れそのものになっていました。
しかし、風。しかも向かい風で強く、途中少し汗ばんで一旦外した首タオルをまた巻いた次第です。
やや行くと「下関市」の標識と、「ようこそ下関市」のふぐの絵のついた看板に出合う。いよいよ他藩へ入った訳です。
11時少し過ぎ、「東行庵まで300Mの標識」が見え、たまたま道脇に、石のテーブル&ベンチ2対のある休憩所を発見。早いけどランチとする。
主菜は、ワカメ入り具沢山スープ、他に、イワシの磯部揚げ、しょうゆ豆、余ったマグロ刺身の煮物、軽いお焦げのおにぎりと、当然、ビール。今回の肴は、自前料理(後欄の調理法概説参照)が殆ど。ワカメは、3日程前、近くの瀬戸内海で採ってきたものです。
今回は更に、スープを暖かくするためにコンロ持参。器は、大坂を離れる時、皆さんより送別に頂いたモン・ベルのチタンコッヘルです。スープが暖まる間に、しょうゆ豆などでひとり乾杯。進むうちにスープもほどほどに暖まる。うまーい。
道を通る軽自動車の窓から、おばちゃんがじーっと見て行く。宴会場は道から丸見えなのです。缶ビールの底に賞味期限が8カ月もあるのを発見。ほんとかいな。最後にスープの残り汁におにぎりを突っ込んだ猫まんまを頂き、30分ほどでスペシャルランチもタイムオーバー。
東行庵には12時前に到着。脇に梅園もあるけど、比較的新しいせいか風情不足。中央入り口付近の梅(あるいは桜かな?)(※)が見栄えあり。菖蒲池の淵を経由して晋作の湯に入る。平日の昼間でもあり、客は、私を入れて3人。気分的にひろびろと、室内の浴槽や露天、水ぶろなど癖のない単純泉で疲れを癒す。
バスでJR小月駅(※)へ出て、JRで厚狭へ、更にバスで自宅付近まで乗り継ぐ。バス停から自宅への帰りすがら、再度、山野井富士を遠望する。帰宅は14時半頃。
春の息吹を感じるウオーキングでした。万歩計の数字は19114歩(足のかかとが少々痛いと思ったら、万歩のせいか)。
(主な料理の調理法概説)
・ワカメ入り具沢山スープ;みじん切りねぎ入りミンチボールを、薄切り人参+だし汁で煮て、ワカメと薄切りねぎを加える。
・イワシの磯部揚げ ;塩胡椒した小イワシに、片栗粉→卵→のり天煎餅を砕いた粉をまぶして揚げる。
・しょうゆ豆 ;大豆を焦げ目がつくほど炒って、だし汁+みりん+醤油+砂糖に一晩漬ける。
気候と言えば、昨夏の猛暑の影響でしょう、ドングリとかの山のえさが少ないらしく、昨秋以来、猪が私らの住む人家近くまでしばしば出没。今朝も7時前、犬の散歩中に畑を掘り返して奮闘中の“彼”に出合いました。私だけでも今シーズンの目撃回数5~6回にもなります。作物を食ったり、土を掘り返したり、周りの石垣を壊したり、もっと気になるのは(今のところ実害はありませんが)人への危害です。自治会長としては、市へもそれなりの対応を依頼しているところです。 (本題にはいりますが)、昨日(2月21日)突然、地元山の会のリーダーより「明日、天気もよさそうだし、、山に行かない?」とのお誘いがあり、当方は、昨年来の軽度の花粉症はあるものの、まあまあの体調、即OKの返事をする。第2弾の連絡によると、行く先は山口市の蕎麦ガ岳(標高556.9M)、メンバ-5名。順路の関係と最高齢のリーダーにたまにゆっくり行程を楽しんでもらおうとの配慮で、マイカーが登山口への交通の便。自宅8時30分少し前スタ-トで、順次メンバーを拾いながら目的地へ向かう。山口市のやや南東寄りの目的地近くまで約55KM、10時半まえには蕎麦ガ岳の解説板のある登山口駐車場に到着。 それぞれの準備を終え、蕎麦ケ岳登山方向はあっち(→)の標識板の前で全員の「使用前」の記念撮影。この地点で標高300Mだったんですが、近くの小屋のまわりの日陰には雪が残っていました。この雪はおそらく一週間前のあの大雪でしょう。結果的には、登山途中の日陰には結構残り雪(なごり雪)がありました。道に雪がはみ出し、足が埋まりそうなところもありました。 さて、登山開始。空は雲ひとつなく正真正銘の青空です。登山道の脇を流れるせせらぎの音もさわやか。道は登りも非常に緩やかでルンルン気分です。せせらぎが小さい滝状に少し段差になっていたりしていました。インターネットの登山案内で「途中ナメ滝あり」とあったので何かと思っていたところ、確かに、なだらかに傾斜になった岩の上を水が滑るように流れていました。なめるように流れる滝と言うことでしょう。水は意外と豊富で、これがせせらぎの音源となっているのでしょう。きれいに澄んでいました。整備された道の両脇の緑青々とした又は茶色く枯れたシダの葉を掻き分けるように登って行きます。道の周りの木々はいわゆる雑木です。「松茸取り厳禁」の標識はあるけれども、松なんか見当たりません。堰堤を流れる幾つか滝(?)をやり過ごし、40分ほどで休憩。一口(ひとくち)コーヒーで一服。 ずっと同じようになだらかな登山道を登って行き、1時間ちょっとでL字型の分岐点に到着。あと450Mの表示がありました。1時間ちょっとと言うと、普通の人なら十分頂上に到着している時間です。「急がない」、「急げない」のが、この同志の登山です。 少し行くと蕎麦ガ岳のこんもりとした頂上の姿が見え、一旦少し下ります。もう一度登り、また下りがあり、最後にちょっとした急登があって、結局合計1時間半で(12時頃)、無事頂上到着。 頂上は360度視界OKです。北西方向には、窪地に山口県庁、その左(西)側に湯田温泉街などのある山口市街地、さらにその奥の山々には東西の鳳翩山、東にはすぐ真田ケ岳、南には遠くアンテナ林立の防府市大平山等々が見張らせました。 昼食前のビールの肴には久しぶりにするめを焼きました。出がけに残っていた手製「しょうゆ豆」も持参しました。リーダーは、お湯を沸かし、インスタント味噌汁(我が家では高級味噌汁と呼称)をご馳走してくれました。頂上には1時間余り滞在。頂上会食場は貸切。ついでに言うと、登りに出合ったのは1人。下山中には誰とも会わず。田舎、平日のせいでしょう。 年齢構成のせいか、どうしても途中での話題が病気や介護の話しになりがちなのをお互いに指摘しあったりしながらも、下りも、さわやか気分で下りて、14時少しすぎには駐車場に着いたのでした。 天候も気分も爽やかだった今回の登山、歩行数は9494(くよくよ)歩とはどういうこと? 山口/K